黄泉の国と禊 ― 三貴子の誕生
火の神を生んだために命を落とした伊邪那美命(いざなみのみこと)を、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)はあきらめきれなかった。「愛しい我が妻よ、二人で作った国はまだ完成していない」。彼は死者の住まう黄泉(よみ)の国へと下っていく。御殿の戸越しに呼びかけると、闇の中から懐かしい声が返ってきた。「もう黄泉の国の食べ物を口にしてしまいました。けれど黄泉の神々に相談してみます。その間、決して私の姿を見ないでください」。
しかし待ちきれなかった伊邪那岐命は、髪に挿した櫛の歯に火を灯し、闇の中をのぞいてしまう。そこにいたのは、体に蛆がたかり、八柱の雷神がまとわりつく変わり果てた妻の姿だった。恐れをなして逃げ出す夫を、「よくも私に恥をかかせましたね」と伊邪那美命は黄泉の軍勢に追わせる。伊邪那岐命は髪飾りや櫛を投げて時を稼ぎ、桃の実を投げつけて追っ手を退けた。
この世と黄泉の国の境、黄泉比良坂(よもつひらさか)で、伊邪那岐命は千人がかりで動かすほどの大岩で道を塞いだ。岩を挟んで妻は言う。「愛しい人よ、こんなことをするなら、あなたの国の人を一日に千人絞め殺しましょう」。夫は答えた。「愛しい妻よ、それならば私は一日に千五百の産屋を建てよう」。人が死に、それを上回って生まれてくる、命のことわりの起源譚である。日本書紀の一書には、このとき菊理媛神(くくりひめのかみ)が現れて何事かを申し上げ、伊邪那岐命がそれを褒めたと記される。言葉は伝わらないが、二神の間を取り持った仲裁の神として、菊理媛神は「くくる」名のとおり縁を結ぶ神と仰がれるようになった。
黄泉の国から戻った伊邪那岐命は、「私はなんと穢れた国に行っていたことか」と、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原(あわきはら)で禊祓(みそぎはらえ)を行った。身につけたものを脱ぎ捨て、水に身を沈めるたびに次々と神が生まれていく。禊は、死の穢れを祓い新しい命を生み出す、日本の祓いの原点となった。
そして最後に、左の目を洗ったときに天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、右の目を洗ったときに月読命(つくよみのみこと)が、鼻を洗ったときに須佐之男命(すさのおのみこと)が生まれた。伊邪那岐命は「私は多くの子を生んできたが、最後に三柱の貴い子を得た」と喜び、天照大御神に高天原を、月読命に夜の国を、須佐之男命に海原を治めるよう委ねた。死の国への旅は、こうして光の誕生で結ばれるのである。


