天孫降臨 ― 道をひらいた猿田彦
国譲りが成り、葦原中国(あしはらのなかつくに)は天つ神の御子が治める国となった。天照大御神(あまてらすおおみかみ)は孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)に「この豊葦原の瑞穂の国は、そなたが治めるべき国である。天壌(あめつち)とともに栄えよ」と命じ、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)の三種の神器を授けた。鏡については「これを私の御魂として、私を拝むように祀りなさい」と告げたと伝えられる。
この降臨を天照大御神とともに指揮したのが、国譲りに続いて高木神(たかぎのかみ)――造化三神の一柱・高御産巣日神である。古事記の天孫降臨は一貫して「天照大御神と高木神の命」として語られ、日本書紀の本文にいたっては、降臨を命じるのは高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)ただ一柱として描かれる。天地のはじまりに身を隠したはずのむすひの神は、天孫の道行きの実質的な指揮官として、物語の表舞台に立っていたのである。
邇邇芸命が天降ろうとしたとき、天の八衢(あめのやちまた)――天と地をつなぐ分かれ道に、上は高天原(たかまのはら)を照らし、下は葦原中国を照らす異形の神が立っていた。神々が恐れる中、天照大御神と高木神は天宇受売命(あめのうずめのみこと)を呼んだ。「そなたはか弱い女神であるが、面と向かって気後れしない神である。誰がこの道に立つのか、問うて参れ」。天岩戸の前で舞い、闇を破るきっかけをつくった、あの女神である。
天宇受売命が胸を張って進み出て問うと、その神は堂々と名乗った。「私は国つ神、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)。天つ神の御子が天降られると聞き、先導を仕えまつろうと出迎えに参りました」。行く手を阻む魔物かと恐れられた異形の神は、道をひらくために待っていたのである。
猿田彦大神の先導のもと、邇邇芸命は天児屋命(あめのこやねのみこと)・天太玉命(あめのふとだまのみこと)ら五伴緒(いつとものお)の神々を従え、天の岩位(いわくら)を離れ、幾重にもたなびく雲を押し分けて、筑紫の日向の高千穂の峰に天降った。「この地は韓国(からくに)に向かい、朝日の直刺す国、夕日の日照る国。いと良き地」と言祝ぎ、地底の岩に太い宮柱を立て、高天原に千木の届く壮麗な宮を築いた。天上の神の子孫が地上を治める、皇室の起源と伝えられる場面である。随行した天太玉命は、天岩戸の前で注連縄を張った布刀玉命その神であり、のちにその子孫が阿波の忌部(いんべ)を率いて房総の地を開き、祖神を祀ったのが安房神社の始まりと伝えられる。
役目を果たした猿田彦大神は、故郷である伊勢の五十鈴川のほとりへ帰っていった。このとき天照大御神の命により送り届けたのが天宇受売命で、猿田彦大神の名を負って猿女君(さるめのきみ)と呼ばれるようになったと古事記は伝える。二神は夫婦になったとする伝えもある。なお、天孫降臨に先立ち天照大御神は宗像三女神を筑紫の道に降し、「歴代の天皇を助け奉り、祀りを受けよ」と命じたとされ、三女神は道主貴(みちぬしのむち)と尊ばれた。天と地の道をひらいた神々の物語は、旅立ちと導きの信仰として今も生きている。





